2011年02月 第2回 介護・福祉学習交流会「これでよいのか!介護保険制度の改定論議」に参加しました

この度、浜大津明日都ふれあいプラザにて行われた第2回 介護・福祉学習交流会「これでよいのか!介護保険制度の改定論議」に参加してきました。私たちは介護が必要になると「自立支援」「介護保険」「難病対策」などの制度を利用し、自宅や施設で療養します。多くの市民が願う「安心して老後を迎えられる」制度にできるよう今回の改定内容を学び、交流会では課題や意見を交わしました。

私は大津市錦織で祖父・祖母・父・母・兄の6人の大家族で生まれました。食事時は丸いお膳を囲んで、年長者の男から順番にご飯はつがれ、最後は母が自分のお茶碗にご飯をよそう。親子三代が同じ時間と空間を共有する家族の生活、昭和34年生まれの幼少期には日本中どこでも見られた光景です。しかし、昭和40年頃から高度成長社会に入り、核家族化が進み大家族から小家族つまり親子二代の家族に変わっていきました。
介護・保育は、三世代同居する時代では"幼老共生"する生活であったため、家族単位で行ってきましたが、核家族化した現在は、介護と保育は社会の仕組みの中で支えていく時代に変わっています。
私の介護家族としてのスタートは、5年前父の認知症が進行し、暴言や徘徊などを繰り返し、常に目を離せない状態になった父の姿と一生懸命介護する母を見て、子として深い寂しさと悲しみを感じたことから始まりました。私は「まごころの家」という小規模多機能の介護保険施設を運営している関係上、通所・訪問・宿泊のサービスを父の状態に合わせてスタッフが母を支えくれたこともあり、要介護5になっても自宅で暮らしていました。母は看護師でもあり、「パパ(親父の呼び名)は、最後まで家で看る」という強い思いでいてくれるお陰で二人暮らしをしていましたが、嚥下障害のため2年前に高熱が続き誤嚥性肺炎を起こし再々入院することになり、三度目の入院では、胃瘻造設について考えるように医師からお話をいただきました。
本人(父)は、認知症で判断能力はなく、早速東京にいる兄(開業医)に報告し、母そして私それぞれに考えた上で、三人で話をしてひとつの方向性を決めることにしました。数日後兄は帰郷し「胃瘻をすべき。親父は生きていてほしい」と医者としての考えと長男としての気持ちを僕に告げました。母は「パパの身体に傷をつけたくないから、胃瘻はしたくない。でも、結論は子供が決めたことに従う」看護師として妻として母として目に涙を溜めながら僕に話しをする。僕は、今まで続けてきた母親の介護する姿を病室で思い浮かべ、ベッド上の父を眺めながら、ケアマネジャーとしてではなく要介護者をもつ家族として悩み続けました。でも父の意思が確認できない現状で何が正しいのか?胃瘻は延命手段であり賛否両論ある。翌朝まで母と病室で話合い決断しました。
「人はこの世に生まれてきて、ひとつしか命を持っていない。だからこそ、その命が繋げられるものなら、最後まで大切にしたい、生きていてほしい。」
今、父は、胃瘻を造設して、週3回の訪問入浴を受け、月2回の往診で健康管理しながら、母は吸引吸入・胃瘻注入・体位変換等を行っています。
父は母の介護を受けて穏やかに暮らし、母は父から心のケアを受けているように感じています。そこには「絆(きずな)」半分の糸の細さで心遣いする関係が、脈々と流れています。

●大津市の介護・福祉をよくする連絡会●
大津市介護家族・要介護者を支える会 / 大津市身体障害者更正会 / 大津市障害児者と支える人の会 / 滋賀県難病連絡協議会 大津支部 / 介護保険をよくする大津市民の会 / NPO法人 まごころの家 / 滋賀県介護支援専門員連絡協議会 大津ブロック / 滋賀県脳卒中者と者会 「淡海の会」

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